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水ノ上成彰は堺市西区選出の堺市議会議員。大阪維新の会所属。

TEL. 072-263-0333

〒592-8348 堺市西区浜寺諏訪森町中3丁272-2

堺市議会報告 議会発言集CONCEPT

平成30年9月12日 文教委員会

道徳について

◆水ノ上 委員  お疲れさまです。大阪維新の会の水ノ上でございます。

 台風21号が大きな被害をもたらしました。被害に遭われた方に心からお見舞いを申し上げたいと思います。

 そういう被害の中で、私はこの間、いろいろなところを回ってきました。それで感じましたのは、多くの方々がともに助け合っている共助ができている、ある意味、道徳的なすごい、道義的な光景をさまざま見ました。災害というのが起こりましたら、人は協力する、特に日本人はそういうところが大きいというふうに思います。東日本大震災でもいろんなことがありました。いろんな道義的な、道徳的な助け合いがありました。そういう意味で日本の道徳は廃れたというふうに言われておりますけれども、まだまだ廃れ切ってはないというふうにも思っております。そういう中で、今般、道徳が教科化されるということにつきまして、私は、きょうは道徳につきまして皆様方と議論をしていきたいなと、このように思っております。

 道徳でよく出されるのがサミュエル・スマイルズという方の書いた品性論というのがあります。その中で、少し長い引用になりますが、私が確かにそうだなと思うところを述べたいと思います。

 国民が品性を維持しようとしないとすれば、その国家は滅亡寸前へと近づく、国民が誠実、正直、清廉、正義の美徳をとうとび、実行することをしないとすれば、そのような国家は生存する価値を失う。富が国民を腐敗にいたらしめ、快楽は国民を退廃させ、国民全体が名誉、秩序、従順、貞操及び忠誠の美徳は過去の遺物にすぎないと思うに至るとき、国家は死に至る。この救済の方法は唯一、各国民の品性の回復しかない。つまり、道徳の回復しかないというふうに言っているわけであります。

 日本が今、道徳はどういう状況かといいますと、今まで、戦後、道徳というのをしっかりと教えてこなかった、その結果が1990年代から少年少女の非行が顕著になり、無道徳化し、背徳している。少年少女の非行の犯罪は非常に多くなって急増している。また、教師に対する暴行や尊敬の念を全く感じられない事例もたくさんある。また、1995年ぐらいからは女子中高生の援助交際が蔓延をしているということで、そこに至っては道徳の荒廃ぶりが明らかになってきた。

 また、いじめの問題があって、それはもう社会問題になって久しい、これを何とかしていかなきゃならない。こういう状況を見ておりますと、そして今に至るまでそういう状況が改善されてないという状況を見ますと、本当に日本という国は死に至っているのではないかというふうに私は感じざるを得ないというふうに思います。

 徳性と品格ある日本国民と日本国家を再建するというのが今日の日本が直面している最大の課題であると思います。そういう意味で、道徳の復権というのは急務。そして、長らく道徳は教科ではありませんでした。そして、教科書もありませんでした。我々は一刻も早く道徳を教科にし、そして教科書をつくり、子どもたちに道徳としてしっかりと教育をしていく必要を訴えてまいりましたが、今般、そういう環境が整ってきた。中学校でも教科書が選定をされた。そういうところから議論を進めていきたいなというふうに思っております。

 まず最初に、道徳の教科化について、制度としてどのようなことになっているのかお答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  道徳の教科化については、中央教育審議会の答申を踏まえ、平成27年3月に学校教育法施行規則が改正され、従来の道徳の時間が特別の教科道徳、道徳科と位置づけられ、学習指導要領の一部が改正されました。

 なお、小学校では平成30年度から特別の教科道徳が全面実施となり、検定教科書を主たる教材として授業を行っております。 中学校においても、平成31年度から特別の教科道徳が全面実施となります。以上でございます。

◆水ノ上 委員  30年度から小学生が、そして31年度から中学生が全面実施になるということです。

 次に、道徳の教科化についての背景はどんな背景があったのかお答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  文部科学省が設置した道徳教育の充実に関する懇談会において、平成25年12月に特別の教科道徳の位置づけも含めた今後の道徳教育の改善・充実に向けた方策が示されました。この中では、一部では道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があることや、他教科に比べて軽んじられ、道徳の時間が実際には他の教科に振りかえられていることもあるのではないかなどの指摘がございました。

 一方、平成25年9月に実施されたいじめ防止対策推進法には、児童等の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人交流の能力の素地を養うことがいじめの防止に資すると示されており、いじめ等の防止に向けて、道徳教育等の充実が求められています。

 このような中、中央教育審議会の答申を受け、平成27年3月に教科化が示されました。以上でございます。

◆水ノ上 委員  今、御答弁いただいたとおり、やはり世間では道徳教育そのものが忌避しがちな風潮、また軽んじられてきた、また道徳の時間がほかの教科に振りかえられてきた、それによって道徳心がなくなってきたと言えると、私もそういうふうに思います。

 それでは、中学校の、来年から中学校もそうなんですが、中学校の道徳科の目標について、学習指導要領にはどのように書いているでしょうか、お答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  中学校道徳科の目標につきましては、学習指導要領において第1章総則の第1の2に示す道徳教育の目標に基づき、よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解をもとに、自己を見詰め、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てると示されております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  多面的・多角的に考えるということは必要だというふうに思います。ただし、最後の道徳的な判断は多面的であってはならないと思いますし、結論も多面的であるべきではないというふうに僕は思います。後で、それは議論になると思いますけれどもね。

 それでは、今般、8月8日の教育委員会におきまして中学校の道徳の教科書が選定を、採択をされました。どういう点で、その採択理由と採択社についてお答えいただきたいと思います。 

◎後藤 学校指導課長  教育委員会定例会において、生徒の意欲・関心を高められる教材が豊富な点、さまざまな角度からの発問があり、多面的・多角的に考えられる点、カラーユニバーサルデザインにも配慮している点、本市の教員にとっても指導の工夫を図ることができる点などを主な理由として、光村図書株式会社の教科書を採択いたしました。以上でございます。

◆水ノ上 委員  光村図書株式会社の教科書を採択したということです。幾つか教科書がありましてね、私は教科用図書調査報告書などは見させていただきました。また、教育委員会の議事録も読ませていただきました。その中で、光村図書にしたという中で1つ、皆さんに御紹介したいというところがありまして、桃太郎の鬼退治、これ中学2年生の道徳の教科書に桃太郎の鬼退治、普通ならば、小学生の低学年でも知ってる話。なぜ、わざわざ桃太郎の鬼退治が出てくるんだろう、そして指導課長の話によれば、2年生、桃太郎の鬼退治では、桃太郎に退治された鬼の子の視点を考えることで、さまざまな立場からの物事の捉え方を考える教材となっている。そして、教育委員も、この点を踏まえて、非常によい教材だというふうに言っているわけです。

 桃太郎の鬼退治がなぜそんなに評価されるのか。これ、次のページをあけますと、よく見えないですかね、これ書いてあるんですよ、広告なんですけれどもね、これ最優秀賞をとった作品なんですが、僕のお父さんは桃太郎というやつに殺されましたと、こうあるんです。これを見て、桃太郎のお話は皆さん御存じだと思います。キジ、猿、犬を連れて鬼退治に行って、その鬼が取っていった財宝を取り返すと、鬼退治をして取り返すということですね。そこで、学びのテーマで、さまざまな考え方や立場の人同士が理解し合うにはどうすればよいだろうか。鬼の子は桃太郎のことをどう思っているのだろう。本当のめでたし、めでたしになるためには、どんな考え方が必要だろうというようなことが書かれて、そこが1つの評価されて、この教科書が選定されたということです。

 これでお伺いしますが、この部分、どこが道徳として必要なのか、また、この結果、どのようなことを生徒に求めるのかお答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  今回の道徳科に伴いまして、学習指導要領改訂のポイントとして、答えが1つではない課題に子どもたちが道徳的に向き合い、考え、議論する道徳への質的転換というようなものが挙げられております。そんな中、この桃太郎の教材におきましては、鬼の子どもの視点から捉えた広告作品等を通して、さまざまな考え方や立場の人同士が理解し合うにはどのようにしたらよいか考えると、そのようなことを観点として、相互理解に努め、他者に対する寛容な気持ちで接しようとする判断力と心情を育てることを狙いとしておるところでございます。以上でございます。

◆水ノ上 委員  先ほども言いましたように、いろいろ考えるのはいいと思います。結果として、このことから、子どもたちにどういう意識を持ってほしいのか、皆さんとしてはね。いろんな意見がある、それで終わるんじゃなくて、ある一定のやっぱり結果があるのが道徳だと思うんです。あれもいい、これもいい、価値が相対化したら、それは道徳では僕はないと思う。これをもって、この教材をもって、どういうことを感じてほしいか、それがあって初めて道徳だと思いますけれども、その点についていかがですか。

◎後藤 学校指導課長  道徳科におきましては、教育課程に位置づいておるものでございまして、道徳科の中では、内容項目というものに照らして学習のほうを進めております。この教材におきましては、相互理解、寛容というものが内容項目になっておりまして、自分の考えや意見を相手に伝えるとともに、それぞれの個性や立場を尊重し、いろいろな物の見方や考え方があることを理解し、寛容な心を持って、謙虚に他に学び、みずからを高めていくことということを目標に学習しておるところでございます。以上でございます。

◆水ノ上 委員  僕はね、それは道徳では僕はないと思います。道徳の教育ではね。例えば、こういうのを出して、こういう教材で、子どもの視点から、お父さんが殺された、その鬼、普通は、桃太郎自体は鬼退治で、鬼を殺すなんていうことは、本当はないんですけどね、ここではそういうふうになってますが、子どもの立場から加害者、鬼であっても命は大事にしなきゃならないということを恐らく言いたいんだろう、ということは、これは人権教育、道徳教育じゃなくて人権教育の一環かなというふうに強く思うんですね。

 ここからちょっと派生して、ちょっと脱線しますけれどもね、昔、1977年にダッカ日航機ハイジャック事件ってあったの覚えてますか。あれは福田赳夫内閣のときでしたけれども、日航機がテロリストにハイジャックされて、ダッカでおりたと。そこで、それをどうするかというのは、福田首相が超法規的措置で全員、600万ドル身の代金を渡して、収監されているテロリストも全部釈放して逃がしたという事件。その事件では、人質も含めて誰も死ななかったんですね。

 もう一つ、1997年の事件がペルーの日本大使公邸占拠事件というのがありました。これも覚えてると思いますけれどもね。これは七百数十人の方々が、日本大使公邸におって、そこに14名のテロリストが入ってきたと、占拠する。それをどうするかということで、4カ月かかるんですけれども、最終的にはちょっとずつ人質が返されるんですが、最後72人になったときに、フジモリ大統領がゴーサインを出して、特殊部隊が突入をして、テロリストを全員射殺、しかし、人質も1人亡くなり、また特殊部隊の兵士も2人亡くなるという事件がありました。

 この2つの事件、道徳的ではどういうふうに教えたらいいでしょうか。唐突ですが、お答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  道徳の時間におきましては、教材等を通じて、資料等を通じて学習するということが基本になっておりまして、正しい価値観を取り扱う教材、また問題解決的方法を考える、答えが1つでないものを考え、みんなで議論するもの、また体験的なものという形で取り扱っておるところでございます。ちょっと、極端な例として、教材という形では取り扱いにくいというふうに考えております。以上でございます。

◎松下 学校教育部長  今、委員御指摘の2つの事件の件でございますが、やはり児童・生徒の発達段階というものが、この道徳的価値を高めていく時期ということについて、そのとき相応の判断が必要であるというふうに思ってございます。なかなか答えが1つだというようなところについては、大変難しく、検討が必要かなというふうには思っているところでございますので、教育委員会としましては、今お示しの2つの事案については、子どもたちに、事件としてこんなことがあったということについては、一部的には、部分的には取り上げるということはできるかもしれませんけども、それを道徳的価値観というところについて迫ることは厳しい状況かなというふうに感じております。以上でございます。

  (西委員長、森田副委員長にかわり委員長席に着く)

◆水ノ上 委員  部長個人としては、どう思いますか。

◎松下 学校教育部長  さまざまな判断がおありだと思います。そのときの福田総理であるとか、大統領の判断については、やはりそのところの部分を、自分自身はなかなか情報としては部分的にしか見えない部分がございますので、その判断については、それなりの理由があったというふうに私は捉えたいというふうに思っております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  教育監、どう思いますか。

◎小宅 教育監  今、部長が申し上げましたとおり、その場面、場面で、やはり我々の見えないところでの背景が当然あると思いますので、その背景を勘案した中での御判断やったというふうに思いますので、そのことについて個人的に、やっぱりそれは何らかの正義を守るためにされたものだというふうに考えております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  もうこれ以上、教育長にも聞きませんから。

 これは明らかなんです、実は。というのは、そのとき世界中の人たちがその事件をどう評価したかを考えたら明らか。福田首相及び日本政府はみんなから失笑され、笑われたんですよ。何と情けない、侮蔑されて、批判をされたわけですね。そのテロリストが今度、どんな事件を起こすかわからないということで、道徳としては最低だということで笑われたんです。

 一方、フジモリ大統領及び特殊部隊、ペルーのほうは、世界中から絶賛されたわけです。命よりも、そういう行動をすることが大事だと。テロに屈しないということで大絶賛された。これはもう勇気がある。道徳の1つの徳目として勇気です。命を顧みず正義を貫くという勇気、これを教えなあかん。しかし、ダッカハイジャック事件では平和的解決、1人の人間の命は地球より重いというようなことを言って、結局何もできなかった。そうやって世界中から笑い物にされた、そういう動向をもって、教師、皆さんの立場から、それが道徳である、正しいことはそういうことだということを教えるのが道徳なんですね。

 例えば、先ほどの話でいけば、テロリストの子どもを出してきて、僕のお父ちゃんは特殊部隊に殺された、はい、皆さんどう考えますかというのと一緒。これは、そういう問題やないんです。正義を貫くためにはそういうところが必要なんです。そういう教育をしなければ、せっかく道徳という教科ができたのに、全く中身のないものになる、このように思います。

 時間が余りないので続けますが、ほかにもこの教科書には、本当にこれ道徳というような、例えば、村長の決断といって、小さい島の村長がどんどん過疎化していく、その中で大規模開発をするか、それとも今のままでおるか、大規模開発をしたら、風景が、また昔からの歴史のある島が形が変わっていく、その中で決断するというんですけれど、それが道徳とどういう関係があるのか、僕ようわからんのですね。

 光村書店にしたというのは、そういうところが評価されて、されているわけですけどね、ほかの教科書を全部見たわけじゃないですから、一概にこれをもって判断はできませんけれども、ただ皆様方が、教育委員の皆様方がこの光村書店にしたという判断は、私は首をかしげるところがあるということを申し上げたい。だめだと、ほかと比べてだめと言ってるわけじゃないです。その選定の根拠、理由について私は首をかしげるというふうに申し上げたいなというふうに思います。

 次に、人権の立場からしたら、答えが、先ほど皆さんが言うたのはね、いろんなことを考えて、人権的な配慮から言うたら、いろんなことがあるよねということで答えられないんですね。でも、道徳というのは答え出さんとあかんと僕は思うんですね。

 そこで、人権教育と道徳教育の違いについて、皆様方はどうお考えになっているのかお答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  人権教育と道徳教育については、根本的において人間の生き方にかかわるところでは共通しており、いずれも学校園の教育活動全体を通じて行われるものです。両者の違いとしましては、人権教育は児童・生徒が自分自身をかけがえのない存在とする自尊感情を育むとともに、自他の人権を尊重する意識、意欲、態度を育てることを目的としております。

 一方、道徳教育は教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方、人間としての生き方を考え、主体的な判断のもとに行動し、自立した人間として、他者とともによりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目的としております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  人権教育と道徳教育、僕は似て非なるものだというふうに思うんですね。ですから、今のお答え聞いてても、その違いがよくわからないですね。僕の感覚では、人権教育というのは、究極的には何よりも生命尊重、自分も他人も生命尊重するのが人権教育だというふうに思います。

 また一方で、道徳教育というのは美徳のある行為というのは、生命尊重以上の価値があるというのが僕は道徳だというふうに思っております。そういうところが大きな違いかなと思うんですが、そこでもう一つ、ちょっと事例を申し上げて、皆様方の認識を知りたいと思うんですが、嵐の中に船が1そうあって、2人が乗ってました。それが転覆しました。救命道具は1つしかありません、1人分しか残れません、生き残ることができない。そのときに、人権教育的、または道徳教育的には、どうすることが、どういうふうに教えることが、またどうすることが、教えることが言うたら、いろいろまたどっちもこっちもと言うでしょうけど、皆様としてはどうすることが人権教育上は必要、または道徳教育上は必要だとお考えか、お答えいただきたいと思います。

◎後藤 学校指導課長  特別の教科道徳は、教育課程に位置づくものでございます。中学生においては、22の内容項目に照らして学習するものであると考えております。そんな中、命に関する項目として、命のとうとさというものがございます。生命のとうとさについての、その連続性や有限性なども含めて理解し、かけがえのない命を尊重することと記載されております。

 これらのことを踏まえまして、究極な選択を迫るような教材というのは大変難しゅうございます。本来の道徳教育を通して、このようなとき、もしそのような究極の選択を迫られるようなことが人生の中で起こったときも、自己の生き方を考えて、他者とともによりよく生きる基盤のもと、主体的、適切な判断で行動できる、そんな児童・生徒の育成に努めたいというふうに考えております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  どうすべきかということを、さっきと同じ、私ならこうする、私はこうすべきだという思いがありましたら、部長、お願いします。

◎松下 学校教育部長  具体的には、2人が1つの救命具ということですので、それについては、2人ができる限り、その救命具を分け合って、救助を待つと、できる限りの体力であるとか、泳力、それぞれ違うと思うんですが、お互いをしっかりと思いやって、2人で生きていくという、最後まで諦めないと、そういうことを教えたいというふうに思っております。以上でございます。

◆水ノ上 委員  どっちか1人しか生きれないという主張じゃないと、そんな答えがいっぱい出てきますから、まあまあ、もういいです。

 僕が思うのは、人権教育というのは、先ほど申し上げた自分の命も大事、人の命も大事というふうになって、こういう状況になったら、みんなやっぱり自分がかわいいんですよ、自分がかわいい。ですから、自分が生き残ってもいいし、他人が生き残ってもいい、生き残ることが大事だ。そうなったら、恐らくもう自分が生きるのに必死で、他人を蹴落としてでも生き残ろうとするでしょう、人権教育というのはね。それ道徳じゃないんだから、そうなる。そうなったところで誰も責められない。一方、道徳教育であれば、これは自分の命を捨てて他人を生かす、ちゅうちょなくそれを選択するのが道徳教育だと僕は思います。そう教えなあかん。2人で沈没した、1つしか救命道具がない、命がどっちが価値があるかというんじゃなくて、友達に対して、自分はもういいから、君は生きろというのが道徳。その行為自体を称賛するという社会をつくっていかなきゃならないと思うんですね、僕は。そういう教え。命よりも大切な価値というのがある。命よりも大切な価値がある。それは勇気であり、友情であり、そういういざというときにそういう行動をするということが大事。もう時間がないので、なかなかうまいこと言えませんけれどもね、ただ、道徳を通して、みんながみんなそういうふうになってほしい、なるということは無理だと思います。しかし、そういうことが大事、命以上の大切な価値がこの世にある、そしてそれを遂行することによって、みんなが称賛をする。そして、自分が、人の命を奪ってまで自分が生きた、そういうことはひきょうと思う、そういう社会を、僕は、社会というか、そういう教育が必要だというふうに思いますね。

 東日本大震災のときに、南三陸町で最後まで皆さん逃げてくださいと言って亡くなった遠藤未希さんという方がいらっしゃいました。この遠藤未希さんのことを道徳の教科書として、たしか埼玉県やったか、さいたま市やったか、それを使ってる。この教材は、やっぱり自分の命を落として人を助ける、それに対して称賛を皆さんが与える。そういうときがあったら、自分もそうしよう、遠藤未希さん自身がどんな、それまでの人生を歩んだかはよく存じません。聞くところによれば、普通の女性だったというふうに聞いてます。剣道はされてたらしいですけどね。剣道はお父さんの時代、お父さんも剣道してて、遠藤未希さんも剣道をしてた、それは知っておりますけれども、普通の女性。でも、いざというときに、そういう道徳心があらわれて、自分の命よりも人の命を助けようという、そういう行動を称賛をする、先ほどのように、そのときになってどうのこうのじゃなくて、道徳ということは、ある一定の価値を子どもたちに教えること。議論は幾らしてもいいですけれども、ある一定の価値を教えることが道徳。それなくして、道徳は成り立たない。価値相対主義に陥ったらだめ。この価値はいいな、あの価値がいい、これは高徳、高い徳も、不徳も、背徳も、寛容となって、同じようなレベルにしてはだめなんです。高い徳を持っているのは称賛する、不徳の者、背徳の者については社会からひきょう者として、それは排除する、排除するというか、それはそういうふうに知らせる、そういうことが僕は大事だというふうに思います。

 この次に、いろいろと個別の話をする予定でしたけれども、時間がもうありませんので、まとめたいと思いますけれども、先ほど、冒頭に申し上げた日本の中高生の道徳観が廃れているというのは非常に大きな問題だと思います。道徳の教科の中で、いろんな、ただ単に学習指導要領のカリキュラムをこなすだけではなくて、今実際にある不道徳、背徳のあらわれ、それは例えば、万引きであったり、いじめであったり、また援助交際であったり、教師を殴ったり、父・母を尊敬しなかったりと、いろんなことがあると思いますけど、それを道徳の教科、教育を通じて、すぐにとは言いません、何年か後には、それを半減していこう、そういう社会をつくっていこうという熱意をぜひとも持ってもらいたい。この教科書を使うことによって、どれだけの効果があるかもわかりませんけれども、それは教師の熱意によってそういうことを達成してほしい。

 それに当たっては、道徳というのは、ある価値をしっかりと教えていく、そうでないと、価値相対主義に陥ったら、結局子どもが混乱をして、道徳をしたけれども、結局答えが出せない、そうではなくて、答えの出せる子、決断できる子、それが道徳の教科だというふうに思います。

 いろいろ御答弁を用意していただきましたけれども、また次回、そういう議論ができればと思いますが、それがあるかどうかわかりませんが、きょうのところはこれで終了いたしたいと思います。ありがとうございました。

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